「年を重ねると月日の流れがどんどん速くなる」。成人式の日の天声人語はそんな書き出しで始まる。この言葉、最近身の周りでもよく聞かれる。自分も老けたし周りも老けたということか。40も半ばを過ぎると、年の近しい人の訃報も聞くようになった。日常、老いたとの自覚はないが…。
天声人語はこう続く。「子供には未知の行事や出来事が次々と訪れ、心の時は細かく刻まれる。(中略)大人になると胸躍るイベントが減り、加齢で代謝も鈍り、心の時計は緩慢になる」。科学的に正しいのかどうかはさておき、なるほどと得心する。大人にとっての未知の行事や出来事が仕事がらみでどんどん起きればいいのだが、一部の人を除けばそうもいかない。ルーティン化された作業がどうしても仕事の大半を占める。未知の出来事への対処で成功を収めても、成功の過程で得た高揚はルーティン化されて沈んでいく。
心の時を細かく刻み、時間の流れを濃密に過ごすために、未知の行事や出来事を人より多く体験することが必要だとしたら、へた釣りにとって釣りは極めて有用な所作である。あれも釣りたいこれも食べたい(=未知の行事)を楽しみ、毎回違う海の状況に良い目に遭ったり悪戦苦闘する(=未知の出来事)。未知の行事と出来事を楽しむためにあーでもないこーでもないと頭を悩ませ、仮説の立案、実釣での検証という流れでトライ&エラーを繰り返すのが本当に楽しい。そしてその結果をブログで報告するとこまで含めて、へた釣りは濃密で楽しい時間を過ごしている。釣っている時間はあっという間に過ぎてしまうという矛盾は抱えているけれどw
故・中島らもの名言に「教養とは一人で時間をつぶせる技術」というのがある。へた釣りの釣りの知識は教養と呼ぶにはあまりに底の浅いものであるが、中島らもの言う教養の定義には当てはまってきつつあるような…。自分の生活に、未知の行事や出来事、中島らもの定義する教養が足りないと感じたら、竿を買って釣りに行くのが1つの手だと思う。竿から伝わってくる魚の感触は、心の時の刻みを細かくしてくれるはず。別に釣りでなくてもいいんだけど、へた釣りがオススメできるのは釣りしかないからねw
2013年のへた釣りは、釣りだけでなく、仕事でも未知の行事や出来事を求めて、いろいろチャレンジしていく。まずは、あんスマというスマホ活用サイトと連動して、Androidアプリの開発なんてものに着手してみた。釣り関係のアプリも企画している。ビジネスなので成功するに越したことはない。でも、粘り強くトライ&エラーを繰り返すことができる、未知の行事や出来事を創り出すことが大事なんだと、大雪の2013年の成人式の日に、昼間っからオニカサゴのヒレ酒を飲みながら想う。
著者: へた釣り