ナマコを初めて食べた人は偉い!!と褒める人がいるが、人体実験の被験者のようなもので決して称えられる行為ではないと思うのだが……。マゴチのゲストに釣れたカスザメ。「美味しいよ」と何人かに言われた。少し悩んだけど、釣り人が言う「美味しいよ」を全く信じてないのでリリースした。
ナマコとともに初めて食べた人は偉いと言われるのがフグ。ナマコを食べても死にはしないがフグの場合は一歩間違えば中毒死。実際、何万人もの犠牲の上に安全な食し方が解明されていったと思われる。フグ調理師免許なんてものはない時代。それでも、こんな美味いもん、我慢できるか!という美味しんぼ精神を炸裂させ、鉄砲皿、鉄砲鍋(てっさ、てっちり:鉄砲=当たれば死ぬ)、美濃尾張(身の終わり)にかけて名古屋河豚なんてシャレながらフグを食っていたようである。フグ食禁止令は古くは室町時代からあり、秀吉の朝鮮出兵の際、下関でフグを食った兵士に命を落とす者が続出し、フグの絵を描いた立て札を立てて「この魚食うべからず」と禁止令を出したのは有名な話。明治になって伊藤博文が山口県と福岡県に限ってフグを食べることを許すまで、表向きは(少なくとも武家階級では)フグはご禁制の品であった。
とはいえ、江戸時代になると庶民の間ではフグは普通に食べられていたようで、落語の「河豚鍋」は誰が毒見の役をするかの駆け引きが描かれていて面白い。同じく落語の「らくだ」はフグを食って死んだ死体にかんかんのうを躍らせる。話の導入部を聞くと、現在の交通事故の死者並みににフグを食って死んだ人が当たり前のようにいたのではないかと思われる。それでも江戸時代の文化人たちはこぞってフグを食べたようで、小林一茶の「河豚食わぬ/奴には見せな/不二(富士)の山」なんて句は、フグを食べた自分の勇気を自慢しているだけの実に無邪気な句に読める。松尾芭蕉にも「あら何ともなや/きのふは過ぎて/河豚(ふくと)汁」という句がある。昨日フグを食べたけど生きててよかったという微笑ましい句である。「夢は枯野をかけ廻る」人と同じ人の句とは思えない。フグは船宿で下ろしてくれるのではなければ逃がすか、欲しいという人にあげることにしている。フグが美味しいってことに異論はないが、命を賭してまで食べたいとは思わない。
カスザメの話を書くはずがフグの話に大脱線した。船上で「サメはサメでもカスザメだけは美味しい」「唐揚げにしたら鳥の唐揚げみたいで最高ですよ」と言われた。持って帰るかどうかちょっぴり悩んだが、サメは下処理が難しい(アンモニア臭くなる)し、家族は誰も食べてくれないだろうから一人で食うことになりそうという理由でリリース。本当に美味しいかどうか分からない物なのでリスクが高いと判断した。持って帰って結局食べなかったという無益な殺生はしたくない。帰宅後調べてみると、カスザメが美味いというのはどうやら本当のようだった。身はフライや唐揚げ、ヒレは煮付けて、刺身以外の調理法では軒並み高評価。弾力のある食感がよく味は濃厚と書いてあった。
フグと違って食べて死ぬわけではない。美味いらしい。少なくとも不味くはないということは確認が取れた。次に釣ったら持って帰ってみようと決める。釣り場で言われる「美味しいよ」が素直に信じられなくなったのには理由がある。昔、堤防でネンブツダイが釣れまくった。横で釣っていたおじさんに「それもタイの仲間だよ、美味しいよ」と言われた。釣りを始めたばかりのことである。ネンブツダイなんて物騒な名前の魚がいることすら知らなかった。大漁だぁ~と喜んで100匹ほど持って帰る。あとは想像のとおり。持って帰ったことを猛烈に後悔した。不味かったわけではないのだが……苦労が報われない魚だった。それ以降も他人(釣りの初心者らしき人)には「美味しいよ」と言った同じ魚を自分はリリースしている人(ベテランっぽい人)の姿を何度も見ている。釣り場で言われる「美味しいよ」が全く信じられなくなっている。
著者: へた釣り