そろそろ頭の中が、東京湾最強の大物にして東京湾最高の白身魚、マゴチのことでいっぱいになりつつある。てなわけでマゴチに関する雑学。「コチの頭は嫁にくわせろ」という諺がある。姑が嫁いびりのためにほとんど身のないコチの頭を嫁に与えると解されるのだが……コチの頭には…。
極端に扁平したマゴチの体。胴の部分はそれなりに厚みもあるのだが、その頭ときたらまさにペッタンコで骨ばかり。当然、食べることができる身はほとんどない。嫁いびりが大好きな姑からすれば、「あなたは頭でも食べてなさい」と嫁の食膳に取り分けてあげるのが楽しくって仕方がない。でも、コチが食膳にあがるとき頭ばかりを食べてきた嫁は……姑が死んでコチの胴の肉を食べられるようになったらがっかりするかもしれない。コチの頭にほんの少しだけある身……取るのは面倒だがとにかく美味しいのである。牛一頭からわずかしか取れない部位が美味しいのと同じで、マゴチで一番美味しいのは「コチの頬味」と言われる頬周りの身。美味しいから嫁に食わせてる? へた釣り家では「コチの頭は俺が食う」。
似たような諺に「秋ナスは嫁に食わすな」がある。これも秋のナスは美味しいので嫁に食わすのはもったいないという解釈と、秋ナスは体を冷やすので嫁の体を気遣って食べさせないという解釈がある。コチ同様、優しい姑説とイジワル姑説があるわけだ。昔、動物行動学の本で、姑は子供(姑から見れば孫)が2人できるまで嫁に優しく、子供が2人できたら意地悪姑に変貌する傾向があるという話を読んだ。自分の遺伝子をより多く残すため、1人の嫁が生む孫は2人で十分(孫を連れて出て行ってくれれば養育の負担も軽くなる)、3人目以降の孫は息子を別の女と交配させ、遺伝子のバリエーションを増やしておきたいと目論む姑の生物学的な戦略だと考察されていた。同じ諺に正反対の解釈が存在するのは、姑の対嫁戦略が孫の人数によって違うせい?
著者: へた釣り