3月11日2時46分のその瞬間。地下鉄の中にいた。揺れ始める少し前に電車は停止し、地震の揺れが来ることを告げる車掌のアナウンス。アナウンスの終了とともに始まった、約3分間にわたる電車に怪物が体当たりしているような揺れ。地下鉄の中に逃げ場はない。これは死ぬかもと覚悟した。
止まった地下鉄の中で二度大きな地震。意外と乗客は冷静だったのが印象的だった。「僕……今日、本命の会社の面接なんですよ」と近くに立っていた男性が話しかけてくる。「大丈夫かな? 会社も分かっているから大丈夫ですよね」。地震の最中に地下鉄に閉じ込められているという異常な状況の中で、地上のことよりも就活の方が気になる様子。冷静というより、すさまじい執念?
二度目の揺れが収まってしばらくすると、電車は時速5キロのトロトロ運転で最寄りの駅に到着。地上の様子が気になるので途中下車して外へ出る。というか、逃げ場のない地下でもう一度揺れるのを味わうのはまっぴらごめんだった。通りは人で溢れかえっていたが、建物が崩壊した様子はない。行き場のない人間がほかにすることもないので、地上で呆然としていた。その後の東京の帰宅難民の大量発生の予兆だったのだが、この時点ではそんなことには気づかない。
1時間ほど駅周辺をプラプラしながら会社と家族にメールで連絡。全員の無事を確認しても、まだ、電車が動き出す気配はなし。家に帰るにも会社に戻るにも便利な新橋駅に移動して、ようやく東北地方を襲った東北地方太平洋沖地震のことを知った。新橋駅前の巨大テレビに映し出されてるのは、気仙沼、大船渡、塩釜、小名浜など、釣りをするなら聞き覚えのある地名ばかり。津波の影響でほぼ水没している。新橋駅でしばらく待ったが埒があきそうにもないし、復旧のめどは立っていないということなので、家まで歩いて帰る決心。2時間半ほどテクテク歩いてなんとか帰宅。
開けて翌日、17時30分から深川・吉野屋の夜メバル船に乗る予定だったのだが……津波警報が出ているので、当然といえば当然だが出船停止に。たとえ出船すると言われても、キャンセルしていたと思う。船上で大きな地震に遭うと、船底をゴンゴン叩かれているような状態になるらしい。船の上で津波に遭ったらどうなるのか……知りたくもないし、もちろん経験したくない。地震の最中に地下鉄に閉じ込められるよりも、死ぬかもなことになるのは間違いなさそうだから。
著者: へた釣り